コンテンツ文化史への誘い

コンテンツ文化史学会会長・吉田正高のブログです。 

『重要文化財 真田信重霊屋保存修理工事報告書』2000年、西楽寺

戦国時代を扱った小説やゲームでは、必ずといっていいほど重要人物としてカッコいいポジションで描かれる真田幸村(信繁)ですが、大名として後世に家系をつないだのは、兄の信之であるのは有名ですね。

 

この真田信之の3男にあたるのが信重で、長身・怪力の伝説的逸話を残す人物であり、兄より旧領の一部を譲られて旗本から大名となるも、慶安元年(1648年)に父・信之よりも先に逝去したため、その遺訓を汲んだ父親によって生前より寄与していた西楽寺(現・長野県長野市松代町)に霊屋が建立されました。

 

修復の概要はこちらをどうぞ↓

http://archives.bunkenkyo.or.jp/national/sanada/index.html

 

今回の文献調査では、部材墨書の解読とともに、霊屋の修復に関係する史料を探索するところから始めました。幸いにも、東京の国文学研究資料館史料館に「信濃国松代真田家文書」が所蔵されており、そこから修復に関係しそうな史料を目録から丁寧にひろって、翻刻をする、という、文化財建造物への文献史学側からのお手伝いとしては、最もオーソドックスなスタイルになりました。くずし字もキレイで、翻刻しやすかった記憶がありますね。

 

結局、他の仕事との兼ね合いもあって、修復中の現地には一度も行けなかったので(泣)、いつか足を運びたいと考えてます。内陣・外陣に美しい装飾が施された、素敵な建物です。

 

余談ですが、この時の古文書調査で、のちに自分の研究に使えそうな史料を発見して、ついでに撮影したのですが、結局まだ使ってないのが心残りです(研究ノートとかで、いつか使いたいなあ…)。

 

『重要文化財 真田信重霊屋保存修理工事報告書』

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA4651699X

『若松町遺跡』1996年、新宿区遺跡調査会

報告書の正式名称は「新宿区若松町特別出張所等区民施設建設工事に伴う緊急発掘調査報告書」。

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発掘地域には、江戸時代を通じて、5家の旗本が拝領地を交代しながら居住していました。そこで、文献調査担当の私は、まずは調査区域を拝領していた5家の旗本の家系の調査を行い、さらに若松町に居住する前と後の居住地の変遷を確認し、江戸時代におけるこの地域の意義や位置づけを考察しました。

 

基本史料として、①『寛政重修諸家譜』、②『御府内沿革図書』、③『諸向地面取調書』の3つを用いましたが、より詳細な点を詰めるために、江戸での菩提寺に保存されている過去帳や墓石の銘、さらにかつての旗本知行地へ出張して関連史料を調査し、詳細な家系図を作成しました。

 

それらの情報を総合し、最終的に各旗本家の江戸での居住地の変遷を、下記のように図化しました。

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近世遺跡、とりわけ江戸における近世遺跡への文献史学サイドからのお手伝いとしては、きわめてオーソドックスな内容ですが、5つの旗本家の転居前後の年代と、転居当時の当主名との間に齟齬がある場合もあって、整合性をはかるのが難しく、部屋中を家譜や墓石銘の写真だらけにしながら家系図、転居図、さらに文章をまとめていきました。

 

余談ですが、知行地への調査の一環として、岐阜県土岐市へ出張しましたが、ここで夕食に食べた飛騨牛の焼肉、安くて美味しくて最高でした(笑)

 

『若松町遺跡』

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN14766343

「江戸の鎮守公認運動と地域における鎮守認識」   (『民衆史研究』55号、1998年)

早稲田大学文学研究科の博士課程へ進学した後、最初の1年は、所属ゼミの運営を分担することになり、さらに生活費・研究費を捻出するために仕事を増やしたこともあって、まだ論文を投稿するに至りませんでした。翌年、博士2年となって、そろそろ論文を書いてもいいかな、という状況が作れたので、修士論文をベースに、早稲田大学とはご縁のある『民衆史研究』へ投稿させていただいたのが、掲題の処女論文となります。

※民衆史研究会の公式ブログ

http://d.hatena.ne.jp/minshushi/searchdiary?word=%2A%5B%CF%A2%CD%ED%C0%E8%5D

 

修士論文では、江戸にある大小の神社を、周辺の地理状況や地域社会とあわせて「鎮守」という単位で取り上げ、そこでおこる様々な事象を詳細に分析するというスタイルで執筆しました。

 

そこで、この最初の論文では、それらの大前提でもある「鎮守公認運動」についてまとめてみました。

 

江戸という都市は、近世を通じて大火や地震に見舞われ、また沿岸部の埋め立ても続き、周辺の村もじょじょに町場化し、さらに大名家や旗本、寺社の持つ広大な土地の名目変更もたびたび行われるなど、土地の意義や質が時間の経過とともに変遷するという特徴がありました。特に、大名屋敷の移動などにより、その広大な土地が細分化されて新たな町場が作られると、そこに移り住む人々が地域を守る「鎮守」を欲するようになり、地域に存在する神社を町内の「鎮守」として幕府に公認を求める運動に発展していきました。

 

本論文では、その具体的なシステムやメカニズムを、いくつかの具体例を用いて説明し、さらに地域に自前の鎮守がない江戸隣接村の地域史料から、地域の「鎮守」に対する意識を読み解いていきました。

 

例として用いたのは下記の神社になります。

・浅草福井町 銀杏八幡宮社

 現在は「銀杏岡八幡神社」として台東区浅草橋に鎮座

 http://www.tesshow.jp/taito/shrine_asakusabashi_icho.html

 

・本所松坂町 兼春稲荷

 現在は「松坂稲荷」として墨田区両国3丁目の本所松坂町公園内に鎮座

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%89%80%E6%9D%BE%E5%9D%82%E7%94%BA%E5%85%AC%E5%9C%92

 赤穂浪士の討ち入りで有名な吉良邸跡地の一部です

 

・下渋谷村 下豊沢村 氷川社

 現在は「氷川神社」として渋谷区東2丁目に鎮座http://www.tesshow.jp/shibuya/shrine_higashi_hikawa.html

 

鎮守の存在が幕府に公に認められると、管理者の選定、社の普請、祭礼などが相次いで実施されることになります。また、地元に鎮守がない地域では、地域鎮守を欲する住民たちの意識が高まっていたようです。鎮守公認以降に展開する諸事象は、それぞれ大きなテーマですので、後に次々と自分の論文で取り上げることになっていきます。

 

最初の論文ということもあって、久々に読み返したら気合が空回りしていて、ちょっと恥ずかしいのですが、それなりの問題提起はできたのではないか、と感じております。

 

ちなみに、本論文を収録した『民衆史研究』55号は、現在品切れだそうですが(泣)、内容にご関心のある方は、図書館などでお読みいただけましたら幸いです。

 

「江戸の鎮守公認運動と地域における鎮守認識」

(『民衆史研究』55号、1998年)

http://ci.nii.ac.jp/naid/40003605155

『釣島灯台旧官舎保存修理工事報告書』1998年、松山市

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なんとか修士論文を書き終え、無事に?博士課程へと進学したところで、また別の先輩から文化財建造物保存技術協会でのお仕事を紹介していただきました。

 

文化財建造物保存技術協会は、その名のとおり、国指定の重要文化財や、自治体指定の文化財のうち、建造物の調査・修復を主に行う団体です。

http://www.bunkenkyo.or.jp/

 

私は専門調査員である小川保さんの下で、主に古文書や部材墨書、棟礼などの解読を行わせていただくことになりました。

 

協会での最初のお仕事は、愛媛県松山市にある市指定の文化財建造物「釣島灯台旧官舎」の修復に関する壁下文書の解読でした。

 

「釣島灯台旧官舎」

http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/bunka/turusima_setsumei.html

 

当時の日誌や備品台帳が、吏員退息所の壁の下張りとして使われているのが修復中に発見され、これを丁寧にはがした文書を整理していく作業を延々と続けていきました。具体的には、綴りが解かれてバラバラになった1枚1枚の日誌から、まずは灯台の職員名を抽出し、職員交代のローテーション表をつくり、それと日誌の内容情報からの前後関係の整合性を加えて、日付順に並び変えて復元していくという、ちょっと狂気じみた(笑)作業でした。とはいえ、前後関係がピタッと整合して、日順が判明した時の嬉しさはひとしおでしたね。

 

報告書自体も、本文だけで220頁ある充実した内容でしたが、そのうち100頁を壁下文書を中心とした文献資料の翻刻掲載にあてることになり、苦労が報われてほっとしました。

 

ここでのお仕事は、文献史学のみに特化しそうだった自分の研究スタイルに、歴史的建造物という現存する実物・実体から歴史的意義をいかに見出すのか、という視点を与えてくれたという意味で、とても勉強になるものでした。

 

松山市指定文化財釣島灯台旧官舎保存修理工事報告書

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA37491785

『法光寺跡』1995年、新宿区法光寺跡調査団

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前述の『復元・江戸情報地図』に続き、これも大学院のゼミの先輩から新宿遺跡調査会のお手伝いの仕事を紹介していただきました。 

 

ご存知のとおり、東京都内の区部で工事をすると、江戸時代の遺跡が出てくる場合があります。その調査は、もちろん考古学のグループが主体となって行われるわけですが、文献資料がそれなりに多く残されている近世期の場合、遺物・遺構に加えて、文献史学サイドからの調査を実施する必要があり、そのあたりのお手伝いをさせていただくことになりました。 

 

法光寺は、江戸時代には四谷坂町通りに存在した日蓮宗の寺院で、現在は荒川区日暮里に移転しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%85%89%E5%AF%BA_(%E8%8D%92%E5%B7%9D%E5%8C%BA) 

 

なお、報告書の正式名称は『NTT電話線地下埋設工事荒木線No.3マンホール改修工事に伴う緊急発掘調査報告書』です。

 

遺跡は同寺のかつての墓地にあたる部分で、人骨、円形木棺なども出土しました。最初にお手伝いさせていただいたのが、この木棺の蓋の部分に書かれている文字を解読するという作業だったと記憶してます。 

 

「南無妙法蓮華経為過去精霊盂蘭盆供養也」と墨書された小型の卒塔婆が多数出土したことから、私は「江戸における盂蘭盆習俗」という部分を執筆をすることになりました。江戸時代の随筆資料を中心に6頁と短くまとめましたが、いま読むと超固い文章で恥ずかしいです。それと6頁中、引用注が2頁分42項目あるという、生真面目すぎて青臭い内容になってます(照) 

 

報告書っていうものに文章を書くのは初めての経験でしたので、とても緊張していたことを思い出します。 

 

この後、数年間にわたって、新宿遺跡調査会でのお仕事をさせていただくことになります。 

 

『法光寺跡』

http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN13078877

旧「コンテンツ文化史への誘い」(はてなグループ)について

以前「はてなグループ」で作成していた

「コンテンツ文化史への誘い」はこちらです↓

http://contentshistory.g.hatena.ne.jp/dokubero/

 

前職では、東京大学の「コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム」で特任講師をしておりましたが、そこで2006年度から「コンテンツ文化史」という講義を立ち上げました。(これが現在のコンテンツ文化史学会につながっております。)

  

上記のブログは、講義中に思いついたことなどを受講学生にリアルタイムで発言してほしくて、「はてなグループ」を活用して、いわば公式の「しゃべり場」を設置していたのですが、その時の名残を引き続き使っていたわけです。

(残念ながら講義中の学生スレッドは非公開です。)

  

改めて見直してみると、コンテンツ系のクリエイターを中心に、超豪華なゲスト講師をお招きしていたりして、感動ものですね!

『復元・江戸情報地図』1995年、朝日新聞社

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早稲田大学の教育学部を卒業し、同大学の大学院文学研究科に進学するわけですが、正式に入学する前に2年ほど(いろいろあって・笑)ブランクがあります。その間も大学院のゼミに顔をださせていただいておりましたが、そこで先輩から紹介されたアルバイトが『復元・江戸情報地図』のお手伝いでした。

 

「沿革図書」や「諸向地面取調書」といった江戸御府内に関する幕府の地図資料を統合し、さらに現代の東京市街図を重ね合わせることで、江戸と東京の地理的な連続性・非連続性を直感的に把握できるようにした画期的な本でした。

 

私は、作図を担当されたイラストレーターの中川惠司さんのところで、地図上に表現された江戸の寺社の坪数が、「寺社書上」(旧幕引継文書・当時は大部分が未翻刻)などの幕府史料の記載と合致しているかどうかを確認していくという、かなりマニアックな作業をしておりました。

 

もともと、卒業論文に「江戸の流行神」を選ぶぐらい、江戸の寺社には大変に興味があったわけですが、ここでのお仕事を通じて、江戸全域における寺社の地理的位置づけや寺社名を具体的かつ包括的に把握できるようになったというのは、のちの修士論文、さらには研究論文を執筆する上で、大変に重要な基礎となったと実感しております。

 

また、はじめて参加させていただいた歴史系のアルバイトでしたので、刊行された書籍の奥付に「協力者」として自分の名前がクレジットされたのをみた時の感動は、今でも忘れられません。

 

『復元・江戸情報地図』

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=846